1999年11月7日 読売新聞日曜版に掲載
核武装の主張
これが辞任劇にまで発展した西村衆議院議員(自由党)の問題発言です。このあと西村議員はこうつづけています。〈核とは「抑止力」なんですよ。
……集団的自衛権は「強姦されてる女を男が助ける」という原理ですわ。〉
長々と引用したのは、共通日本語を使うときは少しは冷静で手続き論など開陳するのに、方言では暴走気味に本音を吐いてしまう様子が対照的でおもしろかったからです。
この発言を読んで二つの感想を抱きました。一つは「強姦してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん」という個所に、人間をそう安く見積もられてはかなわないと、小さな義憤をおぼえました。君子ぶるわけではないが、わたしと君とはちがう。「みんな」という大切な副詞をそう勝手に振り回してもらっては困る。同時に「
第二の感想は「核とは『抑止力』なんですよ」という一行についてのもので、一九四五年の夏、アメリカは三発の原子爆弾を製造しました。最初の一発は実験場で爆発してトルーマンとチャーチルをよろこばせ、あとの二発はヒロシマとナガサキで三三万三六七四人の命を奪った(一九九九年八月九日現在)。以来五十有余年、例の抑止力理論なるものの後押しによって、核保有国の核弾頭は五万発にも達しています。その総爆発力は、高性能火薬に換算して二百億トンに相当します。これを世界人口で割ると……、地球上の人間はそれぞれ一人当たり三・三トン強の高性能火薬を背負って生きていることになる。この、悲惨すぎて
なによりも、ヒロシマやナガサキの被爆者の方がたを軸とした世界的な反核運動の
(一九九九年十一月七日)
『にほん語観察ノート』(中公文庫)に収録
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