1996年
本と精神分析
子供にとって、楽しいことは他にもたくさんあります。テレビゲームをやったり、サッカーや野球とか、そういう楽しみももちろん大切だけれど、本を読んで物語のなかへ浸かるということは子供にとってはかけがえのないものなんですね。
子どもは、社会で体験することは最初は初めてのことばかりですから混沌としてわけが分からない。それをどう受け入れていくかというと、自分の知ってる物語にあてはめて整理していくんですね。そうやって無秩序な状態をなんとか自分の手におえるように整理するわけです。
たとえば「ロビンソン・クルーソー」を読むことによって、生きていく上で仲間がいることがいかに大切かを知る。「宝島」を読めば、自分の大事なもののためには戦わなきゃいけないということを知る。しかも、腕力でかなわなくても、知恵を使って戦うという方法があるということを学ぶ。
そうやって本を面白がって読んでいくうちに、混沌とした周囲がある形で見えてくる。どんなことがあったって知恵を働かせて生き抜いていこうという勇気が出てくる。
子供だけじゃありません、大人も同じですね。いま、「21世紀はどうなるか」といった本がずいぶん売れています。あるいは、脳の本がベストセラーになる。結局、小説であれエッセイであれ論文であれ、周囲の無秩序で訳の分からないところを整理してくれる本を、人々は必ず要求してるわけです。
本をよむことと精神分析というのは、とてもよく似ているんじゃないでしょうか。 精神が不安定になったとき、精神分析医にかかって、横になって先生に自分自身のことを語っていく。精神分析医は、ある意味では作家なんですね。話を聞きながら、その人を主人公にしたひとつの物語を作り上げる。あなたがいま不幸なのは、あの出来事が第一の伏線であり、第二の伏線があそこにある......、などと患者が体験したことを整理して物語にしてあげると、患者は癒されていくんですね。
自分の悩みや苦しみを、ひとつの物語として捕まえる、物語の力を借りてそれを理解し、自分の手の内に入れる。それが精神分析ではとても大きな役割を果たしているようです。(中略)
僕自身、思い返していちばんよかったなと思うのは、高校時代に半分投げ出しながらも、とにかく日本文学全集や世界文学全集を片っ端から読んだことですね。後になって、この読書体験はとても役に立っています。図書館の中には、人間が遭遇する物語のパターンがすべて揃っていたわけです。それを手掛かりにして、大学へ行き社会に出たということが、どれだけ僕を助けてくれたことか。
「子供を本好きにするには」の巻 より抜粋
『本の運命』(文春文庫)に収録
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