井上ひさしは社会に対して積極的に行動し、発言しました。コラムやエッセイに書き、インタビューや講演で語ったことばの中から<今を考えるヒント>をご紹介します。

  1975年4月執筆

悪態技術

  日本語論ブームらしい。書店には日本語について書かれた書物がずらりと並び、しかもよく売れているようだ。そして、学校や会社では語呂合せなぞなぞが流行っている。おそらくこの現象は、旅行ブームや歴史ブームと同じ意味があるのだろう。つまり、空間を移動することによって「日本とはなにか」「われわれとはなにか」をたしかめようとする動きが旅行ブームとして現われ、時間を遡行(そこう)することで「日本とは、そしてわれわれとはなにか」をたしかめようとする動きが歴史ブームとして表出したのと同じように、コトバを改めて点検することによって「日本とは、そして日本人とはなにか」という問いにそれぞれが答を出そうとしているのが、この日本語論ブームなのではないか。いってみればわたしたちはいま不安なのである。それで自分自身を、そして自分の国のことを知りたがっているのだ。
  ――というような七面倒な理屈はとにかくとして、せっかく日本語に向いた世人の関心の何割かを、なぞなぞにばかりでなく、悪態へもまわしていただきたいものだとわたしはねがっている。なにしろ、日本人の悪態技術は、かつてたいへんな高水準にあったのだ。この技術をなにも埃の中にほうっておく手はないのである。
「おまえなんぞシャツの三番目のボタンで、あってもなくてもいいんだ。いい加減で引っ込まないと、生皮はいで干乾しにしちまうぞ」
  などと、選挙カーの上からがんがんがなりたてる県会議員立候補者に怒鳴ってみる。
「ぐずぐずするな。おれのあんよの先ではねとばされたいのか。それとも胴体にくさびを打ち込まれたいのか」
  と、順法闘争とやらでのろのろとホームに入ってくる電車に毒づく。
「ああ、いやだいやだ、ほんとうにいやだよ、とりわけいやだ、どうしてもいやだ、いやだったらいやだ、一から十までいやだ、十から百まで、百から千まで、千から万まで、みんないやだ」
  と、同褒を迫る女房に小声で剣突をくわせる。
「なにを偉そうに。ふん、土手っ腹に穴あけてトンネルこしらえて、汽車を叩き込むぞ」
「それ以上がたがたいってみろ。頭から塩をぶっかけて、かじってやるぞ」
  などと呟きながら上役の此言(こごと)を聞く。
「ヘッ、澄ましやがってなんだい。頭をぽんと胴体へめり込ませて、へその穴から世間を覗かせてやろうかい」
「高い銭をふんだくりやがって、頭と足を持って、くそ結びに結んでやろうか」
  と、サービスの悪いレストランのウェイトレスの背中に浴びせかける。
「口答えなぞしやがって生意気な……。口から尻まで青竹通して、裏表こんがりと火に(あぶ)って、人間のかば焼こしらえてやろうか。それ以上ぶつくさ言うなら踏み殺すぜ」
  と、屁理屈ならべ立てる、己が子どもたちに、一発かませる。わたしはこの方法を愛用しているので、その効果は保証するが、これらの悪態は、チチンプイプイのおまじないよりずっときく。胸がすっとする。
  そして、これがもっとも大切なことだが、言うだけ言ってしまうと相手に対して、やがて親愛の情が湧いてくる。
  つまり、悪態技術は精神衛生にとてもよいのだ。かっとなって人を殴る、つかみかかる、殺す、そういうことの横行している日本に悪態技術がまたよみがえるために、目下の日本語論ブームがその火付け役になってくれればいいとわたしはくどいようだが心からねがっている。

『井上ひさしベスト・エッセイ』(ちくま文庫)
『巷談辞典』(河出文庫)に収録


    

Lists

 NEW!
 1987年執筆
あまりの阿保らしさに
『「国家秘密法」私たちはこう考える』岩波ブックレット118より


 2001年「日本語講座」より
諭吉が諦めた「権利」
「日本語教室」(新潮新書)に収録


 1989年執筆
作曲家ハッター氏のこと
「餓鬼大将の論理エッセイ集10」
(中公文庫)に収録


 仙台文学館・井上ひさし戯曲講座「イプセン」より
近代の市民社会から生まれた市民のための演劇
「芝居の面白さ、教えます 海外編~井上ひさしの戯曲講座~」(作品社)に収録


 2005年の講和より再構成
憲法前文を読んでみる
『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社 2006年刊)に収録


 1998年5月18日 『報知新聞』 現代に生きる3
政治とはなにか
井上ひさし発掘エッセイ・セレクションⅡ
『この世の真実が見えてくる』に収録


 2004年6月
「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」小森陽一対談集
(シネ・フロント社)より抜粋


 1964〜1969年放送
NHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』より
『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』


 2001年11月17日 第十四回生活者大学校講座
「フツー人の誇りと責任」より抜粋
『あてになる国のつくり方』(光文社文庫)に収録


 2007年執筆
いちばん偉いのはどれか
『ふふふふ』(講談社文庫)、
『井上ひさしの憲法指南』(岩波現代文庫)に収録


 2009年執筆
権力の資源
「九条の会」呼びかけ人による憲法ゼミナール より抜粋
井上ひさし発掘エッセイ・セレクション「社会とことば」収録


 1996年
本と精神分析
「子供を本好きにするには」の巻 より抜粋
『本の運命』(文春文庫)に収録


 2007年執筆
政治家の要件
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年執筆
世界の真実、この一冊に
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 戯曲雑誌「せりふの時代」2000年春号掲載
日本語は「文化」か、「実用」か?
『話し言葉の日本語』(新潮文庫)より抜粋


 1991年11月「中央公論」掲載
魯迅の講義ノート
『シャンハイムーン』谷崎賞受賞のことばより抜粋


 2001年8月9日 朝日新聞掲載
首相の靖国参拝問題
『井上ひさしコレクション』日本の巻(岩波書店)に収録


 1975年4月執筆
悪態技術
『井上ひさしベスト・エッセイ」(ちくま文庫)に収録


 講演 2003年5月24日「吉野作造を読み返す」より
憲法は「押しつけ」でない
『この人から受け継ぐもの』(岩波現代文庫)に収録


 2003年談話
政治に関心をもつこと
『井上ひさしと考える日本の農業』山下惣一編(家の光協会)
「フツーの人たちが問題意識をもたないと、行政も政治家も動かない」より抜粋


 2003年執筆
怯える前に相手を知ろう
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 1974年執筆
謹賀新年
『巷談辞典』(河出文庫)に収録


 2008年
あっという間の出来事
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2008年
わたしの読書生活
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年
生きる希望が「なにを書くか」の原点
対談集「話し言葉の日本語」より


 2006年10月12日
日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」より
創作の秘儀―見えないものを見る


 「鬼と仏」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 2006年5月3日 <憲法制定60年>
「この日、集合」(紀伊國屋ホール)
“東京裁判と日本人の戦争責任”について(1)~(5)


 「核武装の主張」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


 「ウソのおきて」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


  2007年11月22日
社団法人自由人権協会(JCLU)創立60周年記念トークショー
「憲法」を熱く語ろう(1)~(2)


 「四月馬鹿」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 「かならず失敗する秘訣六カ条」2005年執筆
文藝春秋『「井上ひさしから、娘へ」57通の往復書簡』
(共著:井上綾)に収録


 「情報隠し」2006年執筆
講談社文庫『ふふふふ』に収録


 2008年3月30日 朝日新聞掲載
新聞と戦争 ―― メディアの果たす役割は
深みのある歴史分析こそ


 2007年5月5日 山形新聞掲載
憲法60年に思う 自信持ち世界へ発信