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2001年12月22日
仙台文学館・井上ひさし戯曲講座「イプセン」より
近代の市民社会から生まれた市民のための演劇
ところが、絶対君主たちがやたらと滅茶苦茶をするので、みんなで憲法をつくって、憲法によって絶対君主のやりたい放題を抑え、そして議会も憲法でつくっていく。
そうやって国民が主役となる国民国家というものができてくる。そこでは、ギリシャ以来の王様や王女様、王子様といったエリートたちだけが運命と闘うということが通用しなくなる。やはり、主役である国民の芝居を観たくなる。
おまけに、これまでの喜劇の主人公のように、身の丈以上に変な膨らみ方をしたと思ったらすぐに萎んでしまうような人間ではなく、一所懸命に生きている人間を芝居で表現しようという気運が出てくる。
そうした気運からイプセンが出てくるんですね。
つまり、近代の市民たちがどういう悩みをもち、どういうふうに生きていくのか。
まだ歴史の浅い近代社会ですから、女性と男性の権利は、本来平等であるはずなのに、実際は、女性は家にいて夫の付属品のような関係性だったり、いろいろ不備なところが残っていた。イプセンは、そういう社会の不備なところを全部芝居にしていったんです。だからイプセンを評するのに「問題劇を書き始めた人」という言い方もあります。
それは近代社会が生まれ、市民というものがはじめて歴史の表舞台に出てきて、その市民が憲法をつくり、憲法を支え、力のある人たちをその憲法で抑えていくという動きとまさに呼応しているわけです。
またまた脱線しますが、皆さんは憲法というものをちょっと誤解しているんじゃないですか。
たとえば、仙台市には市の条例があり、宮城県には県の条例があり、また国の法律もある。憲法というのは、それらの条例や法律の上位にあるものだと思っていませんか?
実はそうじゃないんです。
憲法というのはわれわれの側にあって、市や県が条例を出したり、国が法律をつくるというときに、われわれは憲法を基に、その法律が憲法に適っているかどうかを絶えずチェックしていくわけで、そのために憲法があるのです。
よく「憲法は法の中の法」だといわれますが、でも、これもまた違うんですね。
衆議院議員のことを「代議士」といいますが、これは国民に「代わって」政治をおこなうという意味です。
われわれ国民は、こういう講座に出たり、パチンコやったりマージャンやったり、仕事したり、大変忙しいので、行政のことはわれわれの税金を使って代わりの人に委託しているわけです。市長を選ぶ、知事を選ぶ、それから国会議員を選ぶというかたちで任せている。
ところが代理であるにもかかわらず、その任せた人たちが権力を握って、国民にとってとんでもない法律をつくる恐れがある。
そのときに、憲法に照らし合わせて、これはおかしい、この法律は憲法違反である、という場合には、われわれは裁判所へ訴える権利がある。
つまり、憲法というのは他の法律の上にあるのではなく、われわれの側にある唯一の法律なんです。
憲法だけがわたしたちの法律なんです。
わたしたちが選んだり委託したりした人たちが、一部の人たちだけの利益になったり、有利になるような法律をつくったとしたら、わたしたちはそれを憲法でチェックするわけです。憲法は政府のものでもないし、県のものでも市のものでもない、わたしたちのものなんです。その意味でも、憲法を使いながら、憲法をこっち側のものにしておかなくてはいけないわけです。
「芝居の面白さ、教えます 海外編
~井上ひさしの戯曲講座~」
(作品社)に収録
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