2001年11月17日
第十四回生活者大学校<テーマ:グローバリゼーションとはなにか>の井上ひさし講座「フツー人の誇りと責任」より
餌づけされたわたしたち
わたしたちは今、すべてのことに無関心では生きられないわけです。さまざまな化学有害物質などがいろんな形で、わたしたちの体の中にしのびこんできています。ですから、
「誰かが決めてくれる。俺は関係ない」
とか無責任なことを言ってはいられないのです。とにかくすべてのことが、わたしたちの日常に影響を与えています。
身近なところでは、皆さん、コンビニエンスストアを利用なさっていますね。ある新聞で「なぜ売れるのか」という特集をやっていました。答えは「売れない品物を落としていけば売れる品物が残っていく」ということです。なるほどと思いました。売れない品物を落としていくと、逆に言うと売れる品物が残っていく。コンビニに行くといろんな商品が並んでいて、わたしたちの側に選択肢があるように思えますね。しかし実は、売れているものを買わされているだけのことなのです。コンビニで商品を買った瞬間に、その記録が本部に入る。そのデータが集まって商品陳列も決まってきている。ですから、自由に見えて実は自由ではないのです。みんなが買うものだけを与えられている。売れたものだけが並んでいる。実はわたしたちは、そういうニワトリの餌づけと同じような状態になっている。そういう時代に生きているのですね。
また、わたしたちのいちばんの問題は生活様式がなくなったことです。この日本列島を中心に住んでいるわたしたちには、長い年月をかけてつくりあげてきたその生活様式がありました。たとえば、かつての朝夕の食事ですね。朝はご飯があって、味噌汁、干物、漬物がある。夕にはそれに魚がついている。こういう献立で、日本人は営々と生きてきたのです。それが、今は一切なくなってきている。ここ三十年くらいの間に変わってしまったのです。
世界は自分たちの意思で変えられる
このわたしたちの社会は、わたしたちで変えられます。
それは、第二次世界大戦の敗戦から自分たちの力で立ち直って、現在の豊かさを築きあげたボローニャの歴史からはっきり見えてきます。ですから、ボローニャの人々の1人ひとりの生き方自体が、フツー人の責任を果たしているのです。
今は、地球規模の問題がたくさんあります。地球環境でいえば、オゾン層の破壊がすすんでいます。これから核戦争でなくても、今世紀中に地球環境は破壊的な状況に近づいていく可能性があります。でもその時には、わたしは生きていません。わたしの子供たちが生きている時代かもしれません。
この二十一世紀というのは、地球と人類史上始まって以来の大問題が起こってきている。これをみんなで考えて必死に解決していかないといけない時代になったのです。それが二十一世紀に生きているわたしたち一人ひとり、つまりフツー人の貴任です。わたしたち旧い世代もがんばります。しかし、この二十一世紀の主人公は若い皆さんです。今日お話ししたボローニャの町づくりの例から、
「この世の中は自分たちの意思で変えられる」
ということをどうか肝に銘じていただきたい。それがフツー人にできる最大の仕事なのです。
自分たちの意見をはっきり表わしていくことです。
そうしないと、結局はわれわれはその無関心、無責任によって滅んでいく。それは過去の歴史にたくさんあります。そういう恐ろしい状態がさしせまってくることは明らかです。
みなさんは、「バタフライ効果」ということをご存じでしょうか。
わたしは今、自分の住んでいる神奈川県鎌倉市の自然を守るための「ナショナル・トラスト運動」に参加しています。ある日のこと、科学者の友人から葉書が一通ひらりと舞い込んで、そこにはこう書いてありました。
「海峡の北の海辺で蝶蝶が数羽、飛び戯れている。彼等の羽の動きがあたりの空気をわずかに震わせる。それだけのことで終ってしまうのが常だが、しかしじつにしばしば、その空気のかすかな動きが次つぎ伝わって行って大きな波動を呼び、ついには気圧図をも変えて、海峡の南に大嵐を発生させることがある。―これをバタフライ効果といって、近年、注目を浴びている理論です。あなた方の活動を新聞で読み、この理論を連想しました」
なるほど。わたしたちは「蝶蝶」か。それならば野山の緑に、浜辺の青に染まって飛ぶ蝶になろう。そうして、一人でも多くの、志ある方がたに加わっていただいて、蝶蝶の大群となって、この鎌倉に、いや日本に、そればかりかこの大切な水惑星地球に緑の大嵐を起こしたいのです。
『あてになる国のつくり方 フツー人の誇りと責任』(光文社文庫)に収録
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