井上ひさしは社会に対して積極的に行動し、発言しました。コラムやエッセイに書き、インタビューや講演で語ったことばの中から<今を考えるヒント>をご紹介します。

  2007年執筆

いちばん偉いのはどれか

  アンパンの皮に塩漬の桜の花びらをのせようと、シソの葉をあしらおうと、ゴマをふりかけようとアンパンはアンパンだが、中にアンコが入っていなければ、もはやアンパンではない。アンパンがアンパンであることを決めているのはアンコなのだ。中にジャムが入っていたら、ジャムパンになってしまう。つまりアンパンで偉いのはアンコなのである。
  また、うどんの上にアブラゲをのせようと、揚げカスをおこうと、テンプラをあしらおうと、うどんはうどんだが、丼の底にうどんが入っていなければ、もはやうどんではない。そばが入っていたら、それぞれキツネそば、タヌキそば、テンプラそばになってしまう。つまりうどんで偉いのはうどんなのである。
  さらに、羽織をはおろうが、パジャマでくつろごうが、タキシードで盛装しようが、わたしが着ているかぎりわたしがわたしであることに変わりはない。わたしは羽織やパジャマやタキシードで変質したりしないから、わたしは衣類より偉いのである。
  そして、日本国憲法に、主権在民と平和主義と基本的人権の尊重が盛り込まれているから日本国憲法なのであって、この基本原理が一つでも欠けたら、もはや日本国憲法は日本国憲法ではなくなってしまう。
  ところで、政府与党は、「改憲」と称して、日本国憲法から平和主義を外そうとしている。戦さのできるフツーの国になるために基本原理を変えたいというのであれば、もうすでに「改憲」ではない。国の基本のかたちを変えるのだから、それは革命であり、クーデタである。アンパンからアンコを抜いてアンパンでなくしてしまい、テンプラうどんからうどんを取り除いてうどんでなくしてしまい、パジャマのわたしからわたしを抜いてわたしでなくしてしまおうというのだから、これは当然、革命かクーデタだということになる。
  どこの憲法にしてもそうですよ。
  フランスの憲法にもイタリアの憲法にも、<共和制は憲法改正の対象とすることができない〉と書いてある。共和制がアンコであり、うどんであり、わたしであるから、つまり国の基本原理であるから、改正してはいけないのである。変えたければ革命を起こし、クーデタを勃発(ぼっぱつ)させ、新しい基本原理を打ち立てなさい。アメリカ合衆国憲法もたしか、<連邦議会の権限については、変更を及ぼすことができない>と定めていたはずだ。というより、憲法の本体には手をつけず、修正条文で改正している。どんな国だって、基本原理=国の基本のかたちは大切にしているんです。
  「軍縮問題資料」二〇〇七年四月号の北野弘久(ひろひさ)日大名誉教授と伊藤成彦(なりひこ)中大名誉教授の対談を参考にしていうならば、各省の命令である省令より、内閣命令の政令の方が偉い。その政令より国会が決める法律が偉い。そしてその法律より憲法の方がはるか上位の規範である。憲法は主権者の国民からの命令であるから、どんな法律よりも偉いのだ。そして、同じ憲法の条文の中にも、上位と下位がある。基本原理を説いている条文は、そうでない条文より偉い。
  <陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。>(九条二項)と、<下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。>(八〇条二項)を比べれば、どうしたって前者の方が偉いでしょう。くどいけれども、九条が基本原理そのものを説いている分、八〇条よりはるかに上位にあるのである。
  そんなことをいったって、同じ憲法の中に改正の手続き(九六条)が書いてあるじゃないかと、おっしゃる方がおいでだろう。そこで北野名誉教授の発言を引く。
  <九六条自身は国民主権の反映ですが、手続規定ですから憲法内部では下位規範です。手続規定である九六条で上位規範である憲法の本質、根幹を変えることはできません。>
  この発言に、筆者は、前文の一節を添えて、読者諸賢のご判断をまちたい。
  <......この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。>
  参考までに、雄々しい条文をもう一つ。
  <この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。>(九八条)
  ジェット機から翼を取ったら粗大ゴミで、自動車からハンドルを取ったらただの鉄の箱である。日本国憲法からその本質を盗み取られたのでは、日本国憲法ではなくなってしまう。そこで改憲論者たちに進言する。もういい加減にして、「わしらは日本国憲法を日本国憲法ではない、なにか別のものにしたいのだ。別のものにして戦争したいのだ。これは革命だ。クーデタだ。覚悟しろ」と、はっきり啖呵(たんか)を切った方がいい。せこいごまかしは、もうたくさんだ。

『ふふふふ』(講談社文庫)、
『井上ひさしの憲法指南』(岩波現代文庫)に収録



    

Lists

 NEW!
 2001年「日本語講座」より
諭吉が諦めた「権利」
「日本語教室」(新潮新書)に収録


 1989年執筆
作曲家ハッター氏のこと
「餓鬼大将の論理エッセイ集10」
(中公文庫)に収録


 仙台文学館・井上ひさし戯曲講座「イプセン」より
近代の市民社会から生まれた市民のための演劇
「芝居の面白さ、教えます 海外編~井上ひさしの戯曲講座~」(作品社)に収録


 2005年の講和より再構成
憲法前文を読んでみる
『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社 2006年刊)に収録


 1998年5月18日 『報知新聞』 現代に生きる3
政治とはなにか
井上ひさし発掘エッセイ・セレクションⅡ
『この世の真実が見えてくる』に収録


 2004年6月
「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」小森陽一対談集
(シネ・フロント社)より抜粋


 1964〜1969年放送
NHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』より
『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』


 2001年11月17日 第十四回生活者大学校講座
「フツー人の誇りと責任」より抜粋
『あてになる国のつくり方』(光文社文庫)に収録


 2007年執筆
いちばん偉いのはどれか
『ふふふふ』(講談社文庫)、
『井上ひさしの憲法指南』(岩波現代文庫)に収録


 2009年執筆
権力の資源
「九条の会」呼びかけ人による憲法ゼミナール より抜粋
井上ひさし発掘エッセイ・セレクション「社会とことば」収録


 1996年
本と精神分析
「子供を本好きにするには」の巻 より抜粋
『本の運命』(文春文庫)に収録


 2007年執筆
政治家の要件
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年執筆
世界の真実、この一冊に
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 戯曲雑誌「せりふの時代」2000年春号掲載
日本語は「文化」か、「実用」か?
『話し言葉の日本語』(新潮文庫)より抜粋


 1991年11月「中央公論」掲載
魯迅の講義ノート
『シャンハイムーン』谷崎賞受賞のことばより抜粋


 2001年8月9日 朝日新聞掲載
首相の靖国参拝問題
『井上ひさしコレクション』日本の巻(岩波書店)に収録


 1975年4月執筆
悪態技術
『井上ひさしベスト・エッセイ」(ちくま文庫)に収録


 講演 2003年5月24日「吉野作造を読み返す」より
憲法は「押しつけ」でない
『この人から受け継ぐもの』(岩波現代文庫)に収録


 2003年談話
政治に関心をもつこと
『井上ひさしと考える日本の農業』山下惣一編(家の光協会)
「フツーの人たちが問題意識をもたないと、行政も政治家も動かない」より抜粋


 2003年執筆
怯える前に相手を知ろう
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 1974年執筆
謹賀新年
『巷談辞典』(河出文庫)に収録


 2008年
あっという間の出来事
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2008年
わたしの読書生活
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年
生きる希望が「なにを書くか」の原点
対談集「話し言葉の日本語」より


 2006年10月12日
日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」より
創作の秘儀―見えないものを見る


 「鬼と仏」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 2006年5月3日 <憲法制定60年>
「この日、集合」(紀伊國屋ホール)
“東京裁判と日本人の戦争責任”について(1)~(5)


 「核武装の主張」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


 「ウソのおきて」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


  2007年11月22日
社団法人自由人権協会(JCLU)創立60周年記念トークショー
「憲法」を熱く語ろう(1)~(2)


 「四月馬鹿」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 「かならず失敗する秘訣六カ条」2005年執筆
文藝春秋『「井上ひさしから、娘へ」57通の往復書簡』
(共著:井上綾)に収録


 「情報隠し」2006年執筆
講談社文庫『ふふふふ』に収録


 2008年3月30日 朝日新聞掲載
新聞と戦争 ―― メディアの果たす役割は
深みのある歴史分析こそ


 2007年5月5日 山形新聞掲載
憲法60年に思う 自信持ち世界へ発信