井上ひさしは社会に対して積極的に行動し、発言しました。コラムやエッセイに書き、インタビューや講演で語ったことばの中から<今を考えるヒント>をご紹介します。

  2005年執筆

かならず失敗する秘訣六カ条

  わたしたちが子どもだった頃、大人の決まり文句は、「きみたちはみんな、二十歳までには死ぬんだよ」という、いま考えれば奇妙な、しかし恐ろしいコトバでした。
  たしかに、昭和二十年(一九四五)の日本人男性の平均寿命は二十三・七歳でしたから、大人たちは、そうまちがったことを言っていなかったわけですが、それにしても平均寿命が二十三・七歳とは! 戦地では兵隊さんが死ぬ、内地では空襲で市民が死ぬ、赤ちゃんは栄養不良と薬不足で死ぬ、大人にしても食べ物がなくて死ぬ……そんなバカな、ひどい、メチャクチャな時代があったのです。そしてそんな時代を「うん、あのとき日本は正しかった」と叫ぶ人たちが、このところふえてきました。人間が二十歳ちょっとしか生きられなかった時代がどうして正しいのでしょう。それだけ人間の生命をなんとも思わない人たちがふえてきているんですね。
  その時分の日本は、世界の四十九カ国を相手に戦さをしていました。当時、世界には六十四の国がありましたから、これはもう、〈ほとんど全世界を敵にまわして戦っていた〉といっていい。そのために、「御国(みくに)のために」文句をいわずに戦い、そして死んでくれる国民が大勢、必要だったのですね。大人たちは、自爆攻撃や本土決戦のために子どもたちの生命まで要るようになって、わたしたちに「二十歳までには死ぬんだよ。それがフツーなんだよ」と教え込んでいたのです。
  けれども、あの、敗けるべき戦さに敗けてからは、生き続けることが許されて、二十歳で死ぬはずだったわたしも、もう七十歳になりました。こんなにも長く生きているとは思いませんでしたが、そのおかげでいろんな知恵を学びました。その知恵を、綾くんたちが小さいころにきちんと話しておくべきでしたが、たぶん、わたしの考えが足りなかったために、話さずじまいになっていました。これから書くのは、長生きしたおかげで得た知恵の一部です。ただし、わたしはいま、年間二百の舞台公演を行なう劇団の代表をしていますので、今回、書き記しているのは「商(あきな)い」についての知恵が多い。そのへんを勘定に入れて読んでください。その知恵に題名をつければ、「かならず失敗する秘訣六ヵ条」とでもなるでしょうか。
  まず、「どうにかなると考えていること」は、失敗する秘訣の第一条です。どうにかなるなんてことは、この世になに一つありません。自分でどうにかしなければ、この世の中はどうにもならないのです。
  「これまでのやり方が一番いいと信じていること」自分の生き方を毎日のように点検し、工夫しないと、かならずよくないことが起こります。もっといいやり方を発見して、安心して生き延びるようにしないといけない。
  「高い給料は出せないといって、人を安く使うこと」これでは、よい人材は集まりません。劇団の資本は戯曲と人です。よく働く人には、できるだけよい給料を出す。そうしないと劇団は、長くは維持できません。
  「支払は延ばすのが得だと思い、なるべく支払わぬようにすること」これではいつまでも信用されません。信用も商いの大事な資本です。
  「お客はわがままだと考えること」努力をしない人は、不都合なことをすべて、相手のせいにしてしまいます。なんでもかんでも他人(ひと)のせいではダメです。なによりも先に、自分の方になにか手落ちがあったのではないかと自己点検を怠ってはいけないのです。
  「忙しい忙しいといって、本を読まないこと」こういう人に限ってテレビを日に三時間も観ている。ドンと構えてしっかりよい書物を読む。そのことで、コトバの力と思考力が養われますし、この二つこそは人生を切り拓くための最良の武器なのです。
  ……右の六カ条を憲法のように大事にして、わたしたちの劇団は何十もの危機を乗り越えてきました。その一条でも綾くんの参考になれば、こんなうれしいことはありません。では、元気に明るく働いてください。

「井上ひさしから、娘へ」57通の往復書簡
共著:井上綾(文藝春秋)に収録


    

Lists

 NEW!
 1987年執筆
あまりの阿保らしさに
『「国家秘密法」私たちはこう考える』岩波ブックレット118より


 2001年「日本語講座」より
諭吉が諦めた「権利」
「日本語教室」(新潮新書)に収録


 1989年執筆
作曲家ハッター氏のこと
「餓鬼大将の論理エッセイ集10」
(中公文庫)に収録


 仙台文学館・井上ひさし戯曲講座「イプセン」より
近代の市民社会から生まれた市民のための演劇
「芝居の面白さ、教えます 海外編~井上ひさしの戯曲講座~」(作品社)に収録


 2005年の講和より再構成
憲法前文を読んでみる
『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社 2006年刊)に収録


 1998年5月18日 『報知新聞』 現代に生きる3
政治とはなにか
井上ひさし発掘エッセイ・セレクションⅡ
『この世の真実が見えてくる』に収録


 2004年6月
「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」小森陽一対談集
(シネ・フロント社)より抜粋


 1964〜1969年放送
NHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』より
『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』


 2001年11月17日 第十四回生活者大学校講座
「フツー人の誇りと責任」より抜粋
『あてになる国のつくり方』(光文社文庫)に収録


 2007年執筆
いちばん偉いのはどれか
『ふふふふ』(講談社文庫)、
『井上ひさしの憲法指南』(岩波現代文庫)に収録


 2009年執筆
権力の資源
「九条の会」呼びかけ人による憲法ゼミナール より抜粋
井上ひさし発掘エッセイ・セレクション「社会とことば」収録


 1996年
本と精神分析
「子供を本好きにするには」の巻 より抜粋
『本の運命』(文春文庫)に収録


 2007年執筆
政治家の要件
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年執筆
世界の真実、この一冊に
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 戯曲雑誌「せりふの時代」2000年春号掲載
日本語は「文化」か、「実用」か?
『話し言葉の日本語』(新潮文庫)より抜粋


 1991年11月「中央公論」掲載
魯迅の講義ノート
『シャンハイムーン』谷崎賞受賞のことばより抜粋


 2001年8月9日 朝日新聞掲載
首相の靖国参拝問題
『井上ひさしコレクション』日本の巻(岩波書店)に収録


 1975年4月執筆
悪態技術
『井上ひさしベスト・エッセイ」(ちくま文庫)に収録


 講演 2003年5月24日「吉野作造を読み返す」より
憲法は「押しつけ」でない
『この人から受け継ぐもの』(岩波現代文庫)に収録


 2003年談話
政治に関心をもつこと
『井上ひさしと考える日本の農業』山下惣一編(家の光協会)
「フツーの人たちが問題意識をもたないと、行政も政治家も動かない」より抜粋


 2003年執筆
怯える前に相手を知ろう
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 1974年執筆
謹賀新年
『巷談辞典』(河出文庫)に収録


 2008年
あっという間の出来事
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2008年
わたしの読書生活
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年
生きる希望が「なにを書くか」の原点
対談集「話し言葉の日本語」より


 2006年10月12日
日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」より
創作の秘儀―見えないものを見る


 「鬼と仏」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 2006年5月3日 <憲法制定60年>
「この日、集合」(紀伊國屋ホール)
“東京裁判と日本人の戦争責任”について(1)~(5)


 「核武装の主張」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


 「ウソのおきて」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


  2007年11月22日
社団法人自由人権協会(JCLU)創立60周年記念トークショー
「憲法」を熱く語ろう(1)~(2)


 「四月馬鹿」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 「かならず失敗する秘訣六カ条」2005年執筆
文藝春秋『「井上ひさしから、娘へ」57通の往復書簡』
(共著:井上綾)に収録


 「情報隠し」2006年執筆
講談社文庫『ふふふふ』に収録


 2008年3月30日 朝日新聞掲載
新聞と戦争 ―― メディアの果たす役割は
深みのある歴史分析こそ


 2007年5月5日 山形新聞掲載
憲法60年に思う 自信持ち世界へ発信