2007年5月5日 山形新聞掲載
憲法60年に思う 自信持ち世界へ発信
戦争は正義のためではなく、一部の利益のために行われる、グローバルな巨大公共事業となっています。環境を破壊し人命を損なう無駄な戦争をもうやめようと、地球上の人間全員が考え向き合うことです。
日本は戦争であれほどひどい目を招き寄せ、アジアで千五百万人を超える死者が出ました。憲法はそれに対するわび証文で、「日本人は一切丸腰で武器を捨てます」という誓いです。六十年の間、国の名の下に一人も戦争で死んでいません。平和を守っている間に世界指折りの経済大国になり、それを保証したのが憲法なんです。安倍首相は、それが間違いで枠組みを変え「美しい国」にするんだと。これまでは美しくなかったんでしょうね。ずっとやってきたのは自民党ではないですか。
戦争には国際貢献などの美名が付きます。「侵略します」と言って戦争する人はいません。「日本の生命線、満州を守る」といった言葉で、ずっと嫌なことをやらされ不幸な目に遭ってきました。それを決算するのが日本国憲法だったのです。
安倍さんは九条を変えたい。基本的原理の一つを変えたい。九条が変わり軍隊を持つとなると主権在民でなくなり、永久平和に手を付けると基本的人権の尊重もなくなっちゃう。そもそも、国民主権、永久平和、基本的人権の尊重という三つの柱を崩すことは改憲の対象になりません。前文にこの原理に反する憲法、詔勅、法律は排除すると書いてあります。三つの原理は変えちゃいけないと、前文できちっとうたっているのです。国民投票は成立しないのです。
憲法を批判する人が、前文に文句を付けるのはそこなんです。これを変えようというのは、国柄を変えてしまおうということです。
国民投票法案の最大の欠陥は最低投票率を決めていないことです。日本の最近の選挙の投票率は50-60%。その半分の賛成で憲法を変えてしまっていいのでしょうか。拙速もいいところで、九条を変えるためにハードルを非常に低くしています。
姑息(こそく)な人たちがこの国を動かしていると思うと、笑いだすぐらい絶望です。しかもそれを私たちが選んでいるのは爆笑ものの絶望ですよ。チェーホフのような心境です。「昔はこんなことで一生懸命悩んだり、命を投げ出したり、殺し合ったりした人たちがいたんだ」と言う時代がくるかもしれないというのが彼の主旋律です。国民投票法案が通ると思うと絶望ですが、五十年後、百年後にもうちょっとましな世の中になるかもしれないと思って生きています。
絶望の度合いが強いほど希望も大きく、希望の核は日本国憲法です。ルイ・ヴィトンよりも素晴らしい超ブランドで、世界に対し自信を持っていいものの一つです。憲法を守るというよりも広める、「こういう憲法を持っているので戦争には参加できません」とはっきり言えばいい。永久平和という三本柱の一つを守り続けてきた日本国憲法は世界の基本的なルールとなるでしょう。
南半球は日本国憲法に基づいて核兵器だけは持つまい、使わせまいという非核兵器地帯になっています。日本は環境問題でもイニシアチブを取れるのです。京都議定書みたいなものを日本が主導権をもってやっていく。憲法はいろんな人の犠牲で勝ち取ったいいものだから、さらに世界に広げていこうという単純なことなんです。
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