1999年執筆
「ウソのおきて」 より抜粋
ところで、ウソについて、わたしたちはとても寛容です。その証拠に、わたしたちはウソを評価する諺<ことわざ>をたくさんもっています。ウソも方便、ウソをつかねば仏になれぬ、ウソも追従<ついしょう>も世渡り、ウソはつき次第、ウソは日本の宝など、数えあげればきりがない。諺だからといって軽んじてはいけないので、折口信夫<おりぐちしのぶ>にならって云うなら、諺とは人間の口を通して告げられた神の声なのです(もちろん、ウソは泥棒のはじまり、ウソは後からはげる、ウソを云えば閻魔<えんま>さまに舌を抜かれる、といったウソをいましめる諺もありますけれど)。
芸術などは、もうウソの温床、中でも文学はウソのかたまりのようなもので、たとえば、婉曲<えんきょく>にいう、強調し誇張する、反語<アイロニー>を使う、擬人法にする、敬語で必要以上に相手をたてまつるなど、すべてがウソを志向する修辞法です。
けれども、ウソについてたった一つ、鉄則があって、それは他人さまからお金をいただいて、それで生計を立てている人聞は、その他人さまに対してどんなことがあってもウソを云ってはいけないということ。
したがって、税金から給料を貰っている人たち、つまり公務員のみなさんは、納税者にだけはウソをついてはならない。神奈川県警のウソ答弁にみんなが腹を立てているのは、ほかでもない、彼らが公僕だからです。わたしたちの税金で暮らしを立てて、その代わり、わたしたちのために計らうことが本務なのに、ウソの煙幕をはって納税者をたぶらかそうとする。だからみんなが怒っているのです。
『にほん語観察ノート』(中公文庫)に収録
Tweet