2006年10月12日
創作の秘儀―見えないものを見る
日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」より
■時代の底で私たちを基本的に動かしている力
――(小説を書くことと演劇作品を書くこと、そして映画を作ることは、違う仕事なのでしょうか?との問いに答えて)
同じです。見えないものを見えるものにするのが表現者にとって最大の、そしてたった一つの仕事だと思います。見えないけれど何かありそうだ、見えればいいな、確かめたいなと私たちがどこかで思っていることを、ある方法を用いて目の前に「これですよ」と見せる、それが小説家、劇作家、詩人、映画監督、脚本家たちのやるべきことなんです。
もう一つは、今、 私たちが生きている時代の底の方で私たちを基本的に動かしている何かがあります。今の世の一番底にあってこの世を動かしている恐ろしい、あるいは美しいもの、そういう力が私たちと同時代にありながら、私たちには見えないんです。これが後世になると、ああ、あの時代を基本的に動かしていたのはこれだったのかと気がつきますが、今の時代は残念ながら知ることができない。これをしっかりした見える形にする、それが表現者の重要な役割だと思います。
■人類と共にある物語への欲求
私たちは、人があるプロセスを経てどうなっていくかという物語に対する欲求を、人類の原初のころから持っています。混乱した人間関係やある状況を推理するとき、その物語の枠組みを使って「ああ、この本質はこうなんだ」と理解していきます。この物語の力というものは、もちろん小説、演劇、詩歌、映画やテレビドラマ、新聞記事にもありますが、これは人類と共にあり続けるものと思います。神話や民話、おとぎ話にもある人間の認識のある基本的パターン、世の中の移り変わりの基本的枠組みというのは、必ず物語の中に入っています。物語の力は人間にとって最大の武器だと思います。
つまり、面白い話、悲しい話、朗らかな話、いい話というのは軽々と国境を越えてしまいます。表面的な言葉は翻訳ではなくなりますが、そこにある構造的なものの中に潜んでいる物語の力は、人間であればどこにでも伝わるものだと思います。
日本ペンクラブ機関誌P.E.N.第379号
(2006年12月1日発行)より抜粋
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