2001年8月9日 朝日新聞掲載
首相の靖国参拝問題
最愛の妻のために
靖国神社は、たとえば、「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて日本もおしまいだよ」と吐き捨てるように言って亡くなった関行男海軍大尉を祀った。関大尉は神風特別攻撃隊「敷島隊」の指揮官、爆装ゼロ戦で米空母カリニン・ベイに体当りを試み、太平洋戦史上はじめて命中に成功した名パイロットだが、フィリピンの基地を飛び立つ前日、現地にいた同盟通信社(共同通信社の最身)の小野田記者に彼はそう洩らした。
「やらせてくれるなら、体当りしなくても、五百キロの爆弾を敵の空母に命中させて帰ってきてみせるのだが。......ぼくは明日、天皇陛下のためとか、大日本帝国のために征くのではない。最愛のKA(ケイエイ・妻を意味する海軍隠語)のために往くよ」
強いられた死を前に、関大尉と同じ思いを抱く若い人たちが大勢いたことは、『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)や『世紀の遺書』(講談社)といった書物を読めば、だれにも判然とするはず。ちなみに敷島隊の成功を知った戦争指導者層は、ほかの部隊や陸軍航空隊にもこの安易でむごい攻撃法を押しつけ、ついに彼らは、若い人たちに生きながらにして爆弾になれ(桜花)、魚雷になれ(回天)と命令する。こうして特攻戦死者の数は四千四百を越えたが、その命中率は、わずかの一六.五パーセントだった。
生者が忠死者集める傲慢
東京帝大法学部出の渡辺辰夫陸軍主計大尉は兵の命の軽さについてこう書いている。
「野砲兵と馬、それは切っても切れぬ関係があり、人間よりも馬の方が遥かに大切である」
渡辺大尉も敗戦の四カ月前、ビルマで戦死した。二十九歳だった。
このように若い人たちが言い残した言葉を丁重に、丁寧に紡いで行くと、あの戦さが人間の命を一銭五厘と軽く見積もった傲慢な、そして退廃した思想のもとで戦われたものだったことがはっきりと浮かび上がってくる。
さらに二例、陸軍特別攻撃隊「八紘隊」の馬場駿吉少尉は、戦友に、「もし、貴様が生き残ったら、戦闘機が爆弾を抱て体当りしなければならなかった事実を、きっと後世に伝えてくれ」と言い残して飛び立ち、京都帝大経済学部に学んだ林市造海軍少尉は、「私はお母さんに祈ってつっこみます」と書き残して沖組の空に散った。
この人たちは祖国にはげしく絶望しながら、爆弾よりも数億倍も重い怒りを抱きながら、あるいは母を、妹を、子を切ないまでに思いながら亡くなっていったが、あの大戦争で亡くなった幾千万(もちろんアジアの人たちも含む)のなかには、同じ思いの人たちが圧倒的に多かったろう。これらの人たちの最後の思いを無視して、生者が、しかもその人たちに死を強制した者たちが、その人たちの霊を自分たちの都合にあわせて勝手に選別した上で、そのなかの「忠死者」を一つところに集めて「神様」扱いにするのは、それこそ傲慢というものである。
さらに、「天皇のために忠死すれば神様になれるという回路」をこしらえあげて、べつの若者たちをその回路に誘い込もうとするのは、この世に思いを残して死んで行かねばならなかった人たちにたいする二重の裏切りである。亡くなった人たちのご家族への補償をできるだけして、あとはあの人たちの魂をそっと静かにして置いて上げる。そして生きている者は、これらの非業の死の意味を深く噛みしめながら、自分は二度とこのような死に方をしないし、他人にさせもしないと、心のうちで強く誓いながら生きて行くしかない。
「神様になれる」を国が承認
首相の靖国参拝は、わたしたちをゆるやかに束ねながら、わたしたちの共通の価値となっている憲法にも背き、しかも「国のために戦って死ねば神様になれるという回路」を一国の方針として承認することになる。つまり首相の靖国参拝は、「日本は紛争解決の手段として戦争を選びもするぞ」と天下に公言することになりかねない。天皇の軍隊によって、運命をひどく悪い方へ変えられてしまったアジアの国々が危機感をもつのは当然である。
首相の参拝は思い止まってほしいと、国民の一人として切に願っている。首相は公人のなかの公人、首相が転べば公的に転んだことになって大騒ぎになるし、首相が雪隠に入っても、それは公的な排泄行為になる。指導者の排泄物をひそかに採集して、健康状態を探り、それを外交に利用するというのは秘密情報機関のイロハだからそういうのである。一挙手一投足が公的なもの、そこで首相の行動はどんな些細なものであれ、この国の意思の「公的表現」ということになる。そこをよくよく深くお考えいただきたい。
兼石積海軍大尉は昭和二十二(一九四七)年七月に、中国の広東で刑死したが、彼の遺書の最後はこう結ばれている。
「東亜の和平、中日親善について将来かならず一致するを信じて従容として死に就く。死に臨み皆様の御健康と御幸福を祈りて止まず。私は中華民国広東省広州市第一監獄北東高地に於いて散って逝く。家族は時期来れば此の地に来りて手向を乞ふ」と。
兼石大尉の霊も靖国にはいない。広束とご家族のこころのなかにいる。
『井上ひさしコレクション』日本の巻(岩波書店)
戦争<誰のための戦争か>に収録
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