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2007年NHK「100年インタビュー」
笑いとは何か
ボクの芝居には必ずと言っていいほどユーモアや笑いが入っています。それは、笑いは人間が作るしかないものだからです。
苦しみや悲しみ、恐怖や不安というのは、人間がそもそも生まれ持っているものです。
人間は、生まれてから死へ向かって進んでいきます。
それが生きるということです。
途中に別れがあり、ささやかな喜びもありますが、結局は病気で死ぬか、長生きしてもやがては老衰で死んでいくことが決まっています。
この「生きていく」そのものの中に、苦しみや悲しみなどが全部詰まっているのですが、「笑い」は入っていないのです。
なぜなら、笑いとは、人間が作るしかないものだからです。
それは、一人ではできません。
そして、人と関わってお互いに共有しないと意味がないものでもあります。
人間の存在自体の中に、悲しみや苦しみはもうすでに備わっているので、面白おかしく生きようが、どういう生き方をしようが、恐ろしさや悲しさ、わびしさや寂しさというのは必ずやって来ます。
でも、笑いは人の内側にないものなので、人が外と関わって作らないと生まれないものなのです。
親と子を引き裂くとか、恋人を忘れさせるとか、どちらかが死んでしまうとか、悲しませることは簡単です。
しかし、笑いというのは放っておいて出来るものではありません。
人は、放っておかれると、悲しんだり、寂しがったり、苦しんだりします。
そこで腹を抱えて笑うなんていうのはない。
それは、外から与えられるものがあってはじめて笑いが生まれるからです。
しかもそれは、送る側、受け取る側で共有しないと機能しないのです。
笑いは共同作業です。
落語やお笑いが変わらず人気があるのも、結局、人が外側で笑いを作って、みんなで分け合っているからなのです。
その間だけは、つらさとか悲しみというのは消えてしまいます。
苦しいときに誰かがダジャレを言うと、なんだか元気になれて、ピンチに陥った人たちが救われる場合もあります。
笑いは、人間の関係性の中で作っていくもので、僕はそこに重きを置きたいのです。
人間の出来る最大の仕事は、人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗出来るようないい笑いをみんなで作り合っていくことだと思います。
人間が言葉を持っている限り、その言葉で笑いを作っていくのが、一番人間らしい仕事だと僕は思うのです。
『ふかいことをおもしろく』(PHP文庫)に収録
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