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1987年執筆
『「国家秘密法」私たちはこう考える』岩波ブックレット118より
あまりの阿保らしさに
限りある能力を、たとえば睡眠を削ることでなんとか補いをつけながら、やっとの思いで稼いだ金の中から、われわれはその少なくない部分を、税金という名目で国家に預けている。この汗と膏と涙の滲んだ金を老人や子供や国土の緑を保つことなどのために使ってくれるなら、われわれは決して文句はいわない。痩我慢をしてニコニコしながらでも気持よく金を預けよう。ところが政府の使い方ときたらどうだ。われわれの願っているように使われるのはごくわずか。そのある部分は政府の広報活動なるものに流れてタイコ持ち的広告業者の懐中を肥やす一方で与党の代議士諸公の金庫へと逆流し、またある部分は警官諸君のピストルと弾丸の費用に充てられて彼等の強盗行為を助け、さらに別のある部分はわれわれの目と耳と口とをふさぐ法案(国家秘密法のことだ)の成立に躍起となっている代議士諸公の活動を支える。ばかばかしいではないか。あまりの阿呆らしさに大笑いしたくなる。
一九八七年九月現在、反対署名三百十五万余、促進署名はその三百分の一の一万余。 この数字からもはっきりしているように反対の声はいやが上にも高い。そこでこれ以上、われわれの声を無視するというのなら、もう国税は払うまい。もっとも地方税(それも都、市、町、村税)は進んで払うようにする。地方で余ったらはじめて国庫へ回してもらうようにすればいいのだ。そうでもしなければ、国家の主人がだれなのか、彼等は考えてみようともしないにちがいない。
「餓鬼大将の論理エッセイ集10」(中公文庫)に収録
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