井上ひさしは社会に対して積極的に行動し、発言しました。コラムやエッセイに書き、インタビューや講演で語ったことばの中から<今を考えるヒント>をご紹介します。

  2002年執筆

四月馬鹿

  放送の仕事をしていた頃の、毎年の楽しみは、四月一日の午前中に放送されたBBCのニュースのビデオテープを、こっそり観せてもらうことだった。四月一日は、罪のない嘘ならいくらついてもよい日、つまり嘘をついて楽しむ日である。そこでBBCも、念入りに作られた嘘ニュースを放映する。たとえば、定時ニュースの冒頭で、アナウンサーがいかめしく次のように切り出すのだ。
「最近、イギリス王室に不祥事が多すぎることをお憂いになった女王陛下はこのたび、王室全員の精神の引き締めを図るために新しい国歌を制定なさいました。では、ただいまからその新国歌を紹介いたします」
  画面が大スタジオに切り替わって、待機していたBBC交響楽団と合唱団がさっそくその新しい国歌なるものを演奏する。それがビートルズの曲を下手にもじったようなヘンな歌で、すぐさま抗議の電話が殺到、「いきなり国歌をかえるとはけしからん」「だいたいが、まるで国歌らしくないではないか」などと視聴者が喚(わめ)き立てる。それへ局員がひとこと、こう答える。
「四月馬鹿(エイプリル・フール)!」
  次のようなフィルムをニュースの時間に放映した年もあった。画面は一面、低木の畑。そこへ説明が流れる。
「南イタリアにも春が訪れて、スパゲッティが枝もたわわに稔る季節になりました。いまは、一年でいちばん忙しいスパゲッティの渡り入れのとき……」
  見ればたしかに、それらの低木には枝がしなるほど大量の茹でたスパゲッティが垂れ下っている。そのせいで畑は真っ白に見える。
「……今日も朝早くから村の娘たちがスパゲッティの種り入れに励んでいます」
  画面の外からサンタルチアを歌いながら大勢の民族衣裳の娘たちが現われて、右手で摘んだスパゲッティを左手に抱えた大きな籠に放り込む。
  そこへBBCの腕章を付けたリポーターが登場、娘さんの一人にインタビューする。
「今年のスパゲッティの出来ぐあいはいかがですか」
  娘さんはにっこりしてから、こう答える。
「どのスパゲッティもアルデンテに出来ました。近年にない豊作ですわ」
  このころになると、局に抗議の電話が押し寄せてくるが、なかには感謝の電話もあって、
「スパゲッティが木になるものだとは知りませんでした。勉強になりました。ありがとう」
  そこで局員がすまなそうに答える。
「……あのう、四月馬鹿!」
  またある年の四月一日の午前七時の定時ニュースの最初に、時計の大写しが現われた。よく見ると、時計の文字盤の数字が正反対になっている。これまで1があったところに11があり、2があったところに10がある。そしてもちろん11のあったところが1である。やがてその大時計の前にアナウンサーが歩み出て、次のような原稿を読み上げた。
「昨夜遅く行なわれた閣議で、本日からわが国では時計の針をこれまでとは逆に回すことが決まりました。日本その他の外国から安い時計が大量に輸入され、わが国の時計産業が窮地に追い込まれているので、対抗策としてこの措置がとられることになったのです。外国製の時計は本日から使えません」
  住込み作家という妙な肩書きをもらってオーストラリア国立大学でぶらぶらしていた頃、わたしも一回、これに引っ掛かったことがある。図書館で本を借りて外へ出たとたん、そのへんにいた日本語科の学生が口々に、
「靴の紐が解けていますよ」
  と教えてくれた。そこで足もとを見たら、みんなが一斉にこう囃し立てたのだ。
「四月馬鹿!」
  このお返しに、その日の午後、日本語科の教室へ行って、みんなにこう告げた。
「日本から来た観光団が手持ちの週刊誌や月刊誌をわたしのところへどっさり置いて帰りました。荷物になるのがいやで、そうしたんでしょうが、とにかくその数は数十冊にも上ります。中には日本女性のヌード写真が載っているのもありますし、なにより日本語や日本文化の勉強になります。日本語科の事務所の前に積んでありますから、取りに行ってください。早い者勝ちですよ」
  事務所の前でキョロキョロしているところへ、「四月馬鹿!」と言ってやろうという作戦だったが、みんなからいきなりこう野次られてしまった。
「四月馬鹿は正午までです。それを知らない先生こそ、最後の大馬鹿者ですよ」
  そのときのわたしは、証人台の○○○○議員のように、なんだかそわそわしていたらしく、嘘は簡単に見破られてしまっていたのだった。
  ところで日本の政官界は年がら年中、四月馬鹿だ。議員やお役人の大半が嘘ばかりついている。では、四月一日だけは真実を口にするかというと、それもしないのだから手がつけられない。そろそろ国民が声をそろえて、「この馬鹿!」と言うべきときが来たような気がする。

『ふふふ』(講談社文庫)に収録     

Lists

 NEW!
 1989年執筆
作曲家ハッター氏のこと
「餓鬼大将の論理エッセイ集10」
(中公文庫)に収録


 仙台文学館・井上ひさし戯曲講座「イプセン」より
近代の市民社会から生まれた市民のための演劇
「芝居の面白さ、教えます 海外編~井上ひさしの戯曲講座~」(作品社)に収録


 2005年の講和より再構成
憲法前文を読んでみる
『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社 2006年刊)に収録


 1998年5月18日 『報知新聞』 現代に生きる3
政治とはなにか
井上ひさし発掘エッセイ・セレクションⅡ
『この世の真実が見えてくる』に収録


 2004年6月
「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」小森陽一対談集
(シネ・フロント社)より抜粋


 1964〜1969年放送
NHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』より
『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』


 2001年11月17日 第十四回生活者大学校講座
「フツー人の誇りと責任」より抜粋
『あてになる国のつくり方』(光文社文庫)に収録


 2007年執筆
いちばん偉いのはどれか
『ふふふふ』(講談社文庫)、
『井上ひさしの憲法指南』(岩波現代文庫)に収録


 2009年執筆
権力の資源
「九条の会」呼びかけ人による憲法ゼミナール より抜粋
井上ひさし発掘エッセイ・セレクション「社会とことば」収録


 1996年
本と精神分析
「子供を本好きにするには」の巻 より抜粋
『本の運命』(文春文庫)に収録


 2007年執筆
政治家の要件
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年執筆
世界の真実、この一冊に
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 戯曲雑誌「せりふの時代」2000年春号掲載
日本語は「文化」か、「実用」か?
『話し言葉の日本語』(新潮文庫)より抜粋


 1991年11月「中央公論」掲載
魯迅の講義ノート
『シャンハイムーン』谷崎賞受賞のことばより抜粋


 2001年8月9日 朝日新聞掲載
首相の靖国参拝問題
『井上ひさしコレクション』日本の巻(岩波書店)に収録


 1975年4月執筆
悪態技術
『井上ひさしベスト・エッセイ」(ちくま文庫)に収録


 講演 2003年5月24日「吉野作造を読み返す」より
憲法は「押しつけ」でない
『この人から受け継ぐもの』(岩波現代文庫)に収録


 2003年談話
政治に関心をもつこと
『井上ひさしと考える日本の農業』山下惣一編(家の光協会)
「フツーの人たちが問題意識をもたないと、行政も政治家も動かない」より抜粋


 2003年執筆
怯える前に相手を知ろう
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 1974年執筆
謹賀新年
『巷談辞典』(河出文庫)に収録


 2008年
あっという間の出来事
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2008年
わたしの読書生活
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年
生きる希望が「なにを書くか」の原点
対談集「話し言葉の日本語」より


 2006年10月12日
日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」より
創作の秘儀―見えないものを見る


 「鬼と仏」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 2006年5月3日 <憲法制定60年>
「この日、集合」(紀伊國屋ホール)
“東京裁判と日本人の戦争責任”について(1)~(5)


 「核武装の主張」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


 「ウソのおきて」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


  2007年11月22日
社団法人自由人権協会(JCLU)創立60周年記念トークショー
「憲法」を熱く語ろう(1)~(2)


 「四月馬鹿」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 「かならず失敗する秘訣六カ条」2005年執筆
文藝春秋『「井上ひさしから、娘へ」57通の往復書簡』
(共著:井上綾)に収録


 「情報隠し」2006年執筆
講談社文庫『ふふふふ』に収録


 2008年3月30日 朝日新聞掲載
新聞と戦争 ―― メディアの果たす役割は
深みのある歴史分析こそ


 2007年5月5日 山形新聞掲載
憲法60年に思う 自信持ち世界へ発信