井上ひさしは社会に対して積極的に行動し、発言しました。コラムやエッセイに書き、インタビューや講演で語ったことばの中から<今を考えるヒント>をご紹介します。

 2008年3月30日 朝日新聞掲載

新聞と戦争
      ――― メディアの果たす役割は

深みのある歴史分析こそ


  戦争についての私の記憶は1940年に始まる。当時の私は、国民学校への入学を翌年に控えた子供だった。
  我が家は朝日新聞をとっていた。私は新聞が好きで、そこに書いてあることは本当のことだと思っていた。
  新聞はあの戦争を正義の戦争だとうたった。国家にとって不都合な情報は、情報局や軍の報道部に抑えられて報道しなかった。それらの点で新聞には、いわゆる戦争責任があると言える。
  だが、あのときの新聞に「この戦争は間違っている」という批判が出来ただろうか。当時の私自身の感覚に照らせば、無理だったと思う。軍部の力は強く、「全体戦争」の状況下では新聞も国家に動員されていたからだ。
  そうなってしまう以前、まだ批判を書けた時代にもっと頑張れなかったか、がポイントだろう。浜口雄幸内閣(29~31年)の時代がそれにあたると思う。当時は国内にも「国際協調が大事だ」という機運があり、軍縮を進められる状況もあった。
  植民地をぶんどるのではなく、国際通商によって生きていこう。当時もあったその考えを新聞がもつと強く書いてくれたら、満州事変(31年)以降の戦争への流れは止められたかもしれない。
  戦争とメディアの歴史から私がくみ取る教訓は、仮想敵(国)を作らないことだ。
  戦前、中国などを仮想敵にして対外強硬の主張をする人は人気を博した。逆に近隣国との協調を説く人は「軟弱だ」などと批判された。
  「風」の問題もある。私が東京裁判の芝居を書いたときに一番困ったことは、戦時中は皆が「聖戦だ」と騒いだはずだったのに、戦後に「あのとき騒いだ一番の責任者は誰だ」と探すとそこには誰もいない、という問題だった。
  その時々の「風向き」がメディアや人づてで広められるうちに風が大きくなり、誰も逆らえないほどに強くなった。「みんながそう言っている」という"風向きの原則"が働いたのだと思う。
  危ない国だと敵視する流れが風になり、「やってしまえ」まで行ってしまう前に、流れの内実と他国の実情を調べて知らせる仕事は、新聞の独壇場であるはずだ。
  つるつるした「時代のキーワード」が作られて皆が一方向へ動こうとするとき、過去と未来を考えて深みのある分析の言葉を作ること。新聞にはそれを期待したい。今を伝える記事と同時に、10年後の未来を中期的な視点で考える記事や、50~100年の長期的視点で歴史の大状況を考える記事を載せることだ。
  満州事変で朝日はなぜ、軍の中国侵攻を追認してしまったか。取材班は総括で、「ペンを取るか生活を取るかは、ジャーナリズムとしての覚悟の問題に帰する」と書いた。
  だが私は、個々の記者は「生活」を取らざるを得ないと思う。「記者はペンを取る、会社は記者の生活を守る」。そんな原則を理解した経営陣がいることが、よい新聞社の条件ではないか。
  新聞と戦争について戦後いろいろな記事が書かれたが、今回の連載「新聞と戦争」は出色のできばえだ。過去の自らの活動を、驚くほど厳しく自己点検している。過去と同じわだちにはまりこまないために必要な作業だと思う。
  引き続き勇気をふるって、自己点検を続けてほしい。
  (聞き手・塩倉裕) 朝日新聞2008年3月30日
    

Lists

 NEW!
 1989年執筆
作曲家ハッター氏のこと
「餓鬼大将の論理エッセイ集10」
(中公文庫)に収録


 仙台文学館・井上ひさし戯曲講座「イプセン」より
近代の市民社会から生まれた市民のための演劇
「芝居の面白さ、教えます 海外編~井上ひさしの戯曲講座~」(作品社)に収録


 2005年の講和より再構成
憲法前文を読んでみる
『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社 2006年刊)に収録


 1998年5月18日 『報知新聞』 現代に生きる3
政治とはなにか
井上ひさし発掘エッセイ・セレクションⅡ
『この世の真実が見えてくる』に収録


 2004年6月
「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」小森陽一対談集
(シネ・フロント社)より抜粋


 1964〜1969年放送
NHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』より
『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』


 2001年11月17日 第十四回生活者大学校講座
「フツー人の誇りと責任」より抜粋
『あてになる国のつくり方』(光文社文庫)に収録


 2007年執筆
いちばん偉いのはどれか
『ふふふふ』(講談社文庫)、
『井上ひさしの憲法指南』(岩波現代文庫)に収録


 2009年執筆
権力の資源
「九条の会」呼びかけ人による憲法ゼミナール より抜粋
井上ひさし発掘エッセイ・セレクション「社会とことば」収録


 1996年
本と精神分析
「子供を本好きにするには」の巻 より抜粋
『本の運命』(文春文庫)に収録


 2007年執筆
政治家の要件
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年執筆
世界の真実、この一冊に
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 戯曲雑誌「せりふの時代」2000年春号掲載
日本語は「文化」か、「実用」か?
『話し言葉の日本語』(新潮文庫)より抜粋


 1991年11月「中央公論」掲載
魯迅の講義ノート
『シャンハイムーン』谷崎賞受賞のことばより抜粋


 2001年8月9日 朝日新聞掲載
首相の靖国参拝問題
『井上ひさしコレクション』日本の巻(岩波書店)に収録


 1975年4月執筆
悪態技術
『井上ひさしベスト・エッセイ」(ちくま文庫)に収録


 講演 2003年5月24日「吉野作造を読み返す」より
憲法は「押しつけ」でない
『この人から受け継ぐもの』(岩波現代文庫)に収録


 2003年談話
政治に関心をもつこと
『井上ひさしと考える日本の農業』山下惣一編(家の光協会)
「フツーの人たちが問題意識をもたないと、行政も政治家も動かない」より抜粋


 2003年執筆
怯える前に相手を知ろう
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 1974年執筆
謹賀新年
『巷談辞典』(河出文庫)に収録


 2008年
あっという間の出来事
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2008年
わたしの読書生活
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年
生きる希望が「なにを書くか」の原点
対談集「話し言葉の日本語」より


 2006年10月12日
日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」より
創作の秘儀―見えないものを見る


 「鬼と仏」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 2006年5月3日 <憲法制定60年>
「この日、集合」(紀伊國屋ホール)
“東京裁判と日本人の戦争責任”について(1)~(5)


 「核武装の主張」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


 「ウソのおきて」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


  2007年11月22日
社団法人自由人権協会(JCLU)創立60周年記念トークショー
「憲法」を熱く語ろう(1)~(2)


 「四月馬鹿」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 「かならず失敗する秘訣六カ条」2005年執筆
文藝春秋『「井上ひさしから、娘へ」57通の往復書簡』
(共著:井上綾)に収録


 「情報隠し」2006年執筆
講談社文庫『ふふふふ』に収録


 2008年3月30日 朝日新聞掲載
新聞と戦争 ―― メディアの果たす役割は
深みのある歴史分析こそ


 2007年5月5日 山形新聞掲載
憲法60年に思う 自信持ち世界へ発信