井上ひさしは社会に対して積極的に行動し、発言しました。コラムやエッセイに書き、インタビューや講演で語ったことばの中から<今を考えるヒント>をご紹介します。

  2006年5月3日 <憲法制定60年>
「この日、集合」(紀伊國屋ホール)
“東京裁判と日本人の戦争責任”について(4)

  東京裁判にはいくつかの欠陥があります。一番の欠陥は、日本人は自分たちで始末をつけることができなかったことです。疲れていたし、お腹は空いていたし、めちゃくちゃですしね。それだけの気力がなかったわけです。結局、人に裁判を任せてしまった。簡単にスケッチしますとそういう構造です。
  私は事実だけを言ってるんです。ロンドン協定はこうでした、東京裁判はこうでしたということで、全然私の主観は入っていません。これからも主観を入れません。東京裁判のもう一つの欠点は、日本に本当に迷惑をかけられた国が判事も検事も出していないということです。
  当時、アジアはみんな独立戦争で植民地でしたから、オランダとかフランスとか、そういうところが裁判に出てきた。彼らこそ本当は裁かれなければいけないのに。フィリピンは出てきました、それから中華民国。これは今の台湾系統になりますか。出てきましたが、日本に本当に迷惑をかけられた東南アジアの判事、検事が本当に少なかったということです。

  もう一つ、これはロンドン協定の問題から考えなきゃいけないのですが、当時、連合国でも枢軸国でもない、中立国が八ヵ国ありました。スウェーデン、スペイン、ポルトガル、スイスというふうに……。この中立国が本当は裁判をやるという方式を採るべきだったのでしょうが、ロンドン協定ですでに大きな枠組みが決まってしまった。
  連合国が枢軸国を裁く。国家犯罪は個人の犯罪でもある。だから個人を罰しなきゃいけないという、まったく新しいものでした。
  それから人道に対する罪、平和に対する罪という新しい罪をつくった。それで事後法と言うか、そのことが起きているときにはなかったけれども、その後にできた法律で裁くということをした。
  こういうふうに、東京裁判にはいいところもあるんです。
  ここで確立した国際法によって、戦争そのものが全部ひっくり返るんです。つまり連合国は日本を、平和に対する罪、人道に対する罪という事後法で裁いた結果、これは国際法になりますから、今度は連合国の自分たちがそれに縛られていくわけです。ベトナム戦争反対が世界中で起きた。ラッセル法廷なんていうのができた。東京裁判やニュールンベルク裁判は事後法で、とにかく死刑囚も出ましたし、そのことによって実は裁いたほうがそういうことを勝手にできないという国際的なルールをつくってしまった。
  アメリカはベトナムを攻撃する、イラクをやる、今度はイランだという噂もありますが、それを大っぴらにできないのは日本を裁いたからです。そういうことで、いま国際刑事裁判所とか、いろんなのがありますが、日本はまだ批准していませんし、アメリカもロシアも批准していません。

  長所の二番目は、それまでまったく隠されていた日本の指導者たちの機密書類を、ずいぶん焼いたのですが、焼き切れずに残ったものが、裁判の検察側によって徹底的に提出されました。そこで日本人もこんなことをやっていたのかということに気がついた。
  しかも、それは歴史の発見ですから、これが日本人の、そして世界の共通財産になっていく。隠されたままでしたら大変なことになりましたが、裁判のお陰で日本の戦争指導者たちの秘密が全部表に出て、それを私たちはいま歴史を考えるときの基本的な資料にしているわけです。

  そうやってアジアの人たち、日本人の犠牲で国際法がグンと前へ進んだということもたしかなのです。これは尊い犠牲ですから、そういう方向は私たちは本当に守らないと、死んでも死守しなければならない。死んでも死守するというのは馬から落馬したみたいな変な言い方ですが、そういう義務というか責任があると思います。
  もう一つ話を伸ばしますと、東京裁判には今の中国の代表はもちろん内戦中で出ていません。それで昭和二六年九月のサンフランシスコ講和条約で日本は独立します。独立の条件として、東京裁判の結果を受け入れると第一一条か一三条にはっきり決めています。

(つづく)

ブックレット「この日、集合」(金曜日)
当時の日本の大人たちには、それぞれ責任があると思います。 より抄録


    

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 NEW!
 2001年「日本語講座」より
諭吉が諦めた「権利」
「日本語教室」(新潮新書)に収録


 1989年執筆
作曲家ハッター氏のこと
「餓鬼大将の論理エッセイ集10」
(中公文庫)に収録


 仙台文学館・井上ひさし戯曲講座「イプセン」より
近代の市民社会から生まれた市民のための演劇
「芝居の面白さ、教えます 海外編~井上ひさしの戯曲講座~」(作品社)に収録


 2005年の講和より再構成
憲法前文を読んでみる
『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社 2006年刊)に収録


 1998年5月18日 『報知新聞』 現代に生きる3
政治とはなにか
井上ひさし発掘エッセイ・セレクションⅡ
『この世の真実が見えてくる』に収録


 2004年6月
「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」小森陽一対談集
(シネ・フロント社)より抜粋


 1964〜1969年放送
NHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』より
『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』


 2001年11月17日 第十四回生活者大学校講座
「フツー人の誇りと責任」より抜粋
『あてになる国のつくり方』(光文社文庫)に収録


 2007年執筆
いちばん偉いのはどれか
『ふふふふ』(講談社文庫)、
『井上ひさしの憲法指南』(岩波現代文庫)に収録


 2009年執筆
権力の資源
「九条の会」呼びかけ人による憲法ゼミナール より抜粋
井上ひさし発掘エッセイ・セレクション「社会とことば」収録


 1996年
本と精神分析
「子供を本好きにするには」の巻 より抜粋
『本の運命』(文春文庫)に収録


 2007年執筆
政治家の要件
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年執筆
世界の真実、この一冊に
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 戯曲雑誌「せりふの時代」2000年春号掲載
日本語は「文化」か、「実用」か?
『話し言葉の日本語』(新潮文庫)より抜粋


 1991年11月「中央公論」掲載
魯迅の講義ノート
『シャンハイムーン』谷崎賞受賞のことばより抜粋


 2001年8月9日 朝日新聞掲載
首相の靖国参拝問題
『井上ひさしコレクション』日本の巻(岩波書店)に収録


 1975年4月執筆
悪態技術
『井上ひさしベスト・エッセイ」(ちくま文庫)に収録


 講演 2003年5月24日「吉野作造を読み返す」より
憲法は「押しつけ」でない
『この人から受け継ぐもの』(岩波現代文庫)に収録


 2003年談話
政治に関心をもつこと
『井上ひさしと考える日本の農業』山下惣一編(家の光協会)
「フツーの人たちが問題意識をもたないと、行政も政治家も動かない」より抜粋


 2003年執筆
怯える前に相手を知ろう
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 1974年執筆
謹賀新年
『巷談辞典』(河出文庫)に収録


 2008年
あっという間の出来事
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2008年
わたしの読書生活
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年
生きる希望が「なにを書くか」の原点
対談集「話し言葉の日本語」より


 2006年10月12日
日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」より
創作の秘儀―見えないものを見る


 「鬼と仏」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 2006年5月3日 <憲法制定60年>
「この日、集合」(紀伊國屋ホール)
“東京裁判と日本人の戦争責任”について(1)~(5)


 「核武装の主張」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


 「ウソのおきて」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


  2007年11月22日
社団法人自由人権協会(JCLU)創立60周年記念トークショー
「憲法」を熱く語ろう(1)~(2)


 「四月馬鹿」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 「かならず失敗する秘訣六カ条」2005年執筆
文藝春秋『「井上ひさしから、娘へ」57通の往復書簡』
(共著:井上綾)に収録


 「情報隠し」2006年執筆
講談社文庫『ふふふふ』に収録


 2008年3月30日 朝日新聞掲載
新聞と戦争 ―― メディアの果たす役割は
深みのある歴史分析こそ


 2007年5月5日 山形新聞掲載
憲法60年に思う 自信持ち世界へ発信